息子の学校のプレゼン課題で「人生100年時代を生きる」を一緒に考えた。手前みそだがなかなか良い出来だったと思う。
好むと好まざるとにかかわらず、平均寿命は延びている。人生半分折り返すかという年齢になって、まさに今後何をするか、老後としてくくってしまえる長さではないことを考えさせられた。
つまり、若くてイケイケという時期は一瞬で、どこか体に不調を抱えながら生きる人生の方が圧倒的に長いということだ。
年配の方の「私なんてもう、、、」といった台詞も若い時はピンとこなかった。だが、今それを聞くと実に哀しくなる。皆行く道なのにお先真っ暗とは、、、、、、。
小学生の頃に、結構いじめられた。お陰で自分の存在意義を悩む辛い時代だった。
異常に不細工でカッコ悪い自分が自分の上に乗っかっている様な感覚だった。(未だに、いじめられた記憶は鮮明である)
しかし、そんなコンプレックスまみれから少しずつでも脱却出来るようになったのは30歳を過ぎてから。
仕事も忙しくなって悩んでる暇もなくなったし、だいだい悩んでもひとつも解決しないというコトがグダグダ考えた挙句分かった結論と言うべきか。ひとつ、こだわっていたものが落ちた感はあった。
息がしやすくなり、生きやすくなった、と、思った。これなら年を取るのも悪くない。
そして、子供ができ、物理的に自分にかまけている暇もなくなった。社会的にも、自分の能力も含めて、周りとどう調整してやっていくかが重要になってくる年齢になったので自分中心の思考ではいられなくなったのは大きい。
圧倒的に忙しい時期を過ぎた頃、今度は若い時に感じなかった身体の不具合を実感するようになってきた。鏡に映る自分にもビックリした。
どうする?「みっともない」から諦める?
年寄りの冷や水みたいなことにならないように肩をすぼめて生きる?
しかし、人生100年にはリタイアはない。そしたら前向きに開き直るしかないんじゃないか。
少なくとも他人と比較してどうかと、考える後半世紀はもったいない。
境界を設けるのは、いつも自分からなのかもしれない。
もちろん想像力貧困な私には「反面教師」という具体例は必要だけど。