受験狂騒曲 vol.5

12月の朝は遅い。 

早朝型に切り替えるためにと夜は9時までに就床、毎朝5時半には起床し〇東への「お百度参り」を始めた。 

これ以上遠いと時間がかかりすぎるし、目標に向かって歩くのは悪くないというわけだ。 

途中の神社に参拝をしてからである。 

私は朝お弁当を3つ作るのでその時間はとれないため、夫と息子二人で行くことになった。 

(年末休みになってから私は参加) 

 

寒いし、暗い。 

 

試験開始時間は830分である。それまでに頭が完全覚醒し、準備万端で臨むのを逆算すると6時では遅いらしい。 

 

何だか、オリンピック選手みたいだな。 

大ちゃんファンの私としては、過去は2010バンクーバー銅メダル、2014はソチ 2012 GP金メダルと結びつけるとその時のことがすぐに思い出せるように紐付けされている。 

時差の調整が難しいとか、試合が何時だから何時にアップを始めて、とか、 

おんなじじゃん。 

そりゃあね、銅メダルでもなんてぬるいことを言ってると入賞も難しいよね。ここは、やっぱり狙うは金メダル。 

なら、うちも狙うは、〇東である。と、勝手な脳内変換である。確かに、毎日通っていると、難攻不落感が薄れてくるのである。まるで毎日の通学路気分が出てくる。 

 

邪魔になる気後れ感が薄れてくるのは良いと思った。「何事も一歩からである」と、毎日言い聞かせていた。

 

ただ、普段使う経路じゃないからよいけど、不合格だったら、この道トラウマにならないか、、、、、、。余計な心配は出てきた。まったく余計な心配だ。 

 

1月もお試し受験が終わり、もう、受験2週間前となった。じたばたしても遅い。 

 

ここにきて一番怖いのはインフルエンザにかかることである。コロナ禍の今より余程感染対策に留意していた。室温、湿度管理に始まり、栄養、体調管理に注意した。 

小学校も通学していない。ヘアカットにも行っていない息子はプルシェンコのマッシュルームカットもどきまで髪が伸びていた。 

息子の通っていた小学校は6割は中学入試を受ける。蓋を開けてみると1月の始業式から通学しない子もいたし、1月半ばは、ほぼ半数程度は休んでいたらしい。是非はともかく、やはり、インフルエンザは怖い。下手をすると頑張った3年間がパアになる恐れもあるのだ。 

この頃の息子は夫が印刷した問題用紙、解答用紙で模擬受験を毎日一人で実施していた。午前1校、午後1校といったパターンである。取り組む態度は目玉おやじで観察していた。コロナで大流行した監視カメラである。時々夫がチェックしてカメラを動かし、設置してある張りぼてじゃないよと本人に知らしめていた。 

実際は無用だったかもしれない。真面目に取り組んでいたから。 

ホワイトボードにも〇東受験まであと〇日とカウントダウンし、私が毎日激励カットを書いていた。 

(その昔、同人誌もどきをやっていた程度にはマンガ好きである) 

 

今も、その目玉おやじはコロナ禍で活躍しているが、今の腑抜けの息子には全く無用な存在である。 

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