6歳違いの姉がいる。女子の6歳違いは大きくて、子供の頃は相手にならず、後ろをついて回ってうるさがられた記憶しかない。
姉は高校卒業後、進学と同時に家を出、就職後は忙しくてほとんど顔を合わすことがなくなった。
それが、今では1番の友達かのように頻繁にやりとりをしている。
ひとつは、姉が忙し過ぎた会社をかわって時間が出来たこと、加えてたまたま、現在同じ業種についているからお互い仕事の愚痴を言い合ったり、相談しやすくなったことが大きい。
姉と私は幸運なことに、よくできる姉と出来ない妹の様なコンプレックスを刺激する関係になく、私より真面目に勉強する分、姉の方が成績が良いと言った程度の差しかなかったと、思う。
ただ、私は姉のことを、ずっと表現形は違えど、ほぼ同じ感性の人間だろうなぁと、感じていた。
が、姉はそうは思っていなかったらしい。
母に言わせると「姉さんは、真面目。アンタは、チャラチャラし過ぎ」
進学後の成績は大いに違った。学内でも成績がよく、真面目な姉と底辺の成績をさまよっている私。
「もう、取り敢えず、取れる資格は取って、卒業だけはするように」と母にため息混じりに言われた。
母に言わせるとチャラチャラ系でおよそケッタイな服装をしている私と、冠婚葬祭以外はパンツ、シューズスタイルオンリーの姉。長期休暇は南の島か、イタリアに海外旅行の私と、姉が行くのはモンゴル、三峡ダムに沈む前のとことか、北京とかの大方の若い女子が好んでは行かないところばかりとぱっと見は正反対の姉妹だ。
「あんたは、もう少し落ち着いてくれたらね〜。姉さんは、もう少し女の人らしくできないのかね」
心配が減ったら減ったで母は勝手なことを言っていた。2人とも、ずっと、生涯働ける仕事につければ良いと言ってなかったっけ?
そのうち、母の結語は決まって「どちらかでも結婚しないのか」になった。
母にとって、娘たちが親のすねもかじらず、自活していたところで、とどのつまり結婚しない限り半人前の娘たちでしかなかった。(確かに実家の跡取りの兄はさっさと結婚し、子供が3人いた)
私達にとって実家はますます居心地の悪いものでしかなくなり、寄り付かなくなった。
それが前述のきっかけで実家を介さず、姉妹で話をするようになった。意外と趣味や食べたいものが共通していると姉は認識したらしい。(私の読書の出発は姉の残していった本からのものもあるから趣味の傾向が似るのは不思議ではないと思う)
姉の小さい頃は母も専業主婦だったので、祖父母の本家の嫁教育という名のほぼいじめを私よりももっとリアルに感じていたようだ。
加えて長男の兄と年子の姉の待遇の差はそれこそ、江戸時代の嫡子と部屋住みの差で、私の感じていた差など可愛いものだと言い放った。
ものごごろが付く頃から、とにかく平和に暮らしたいと、目途が付いたらすぐに実家を出て、静かに一人暮らしをするのが望みになり、大家族と田舎の親族のしがらみ騒動にはほとほと嫌気がさしていたと、姉は話した。
「出発点が一緒で表現方法が違うだけじゃない?」
「え?でも、あんたはなんだか楽しそうにしてたじゃん。どこそこ連れてってもらったとか、買ってもらったとか。(年1回も会わなくてたまたま聞かれた質問の回答がたまたまそうだっただけだ)私は、プライベートを誰かに煩わされたくないから、結婚とかもあまり考えたことがない」と姉は言い切った。
「私の時は姉さんの時程ハードじゃなかった分、ちょっとだけ女子っぽいってだけじゃない? お互い、変にコンプレックスあって、あんまり可愛げがなくて、ヘタまじめなとこなんて同じじゃん。あたし達多分一緒だよ」
「そう!?」
私達だけには自分の言いたいことを言う(母の苦労には頭が下がるが)母に対するわだかまりをお互い感じていた。
多分、母のしんどさを少しくらい分かち合えるのは、私たち姉妹だけだと思っているのに、
母には私達の思いは届かない。
姉は、すっかり諦めて母とあまり話さなかったが、おしゃべりな私は話すことでで解消出来るのではないかと思っていた。しかし、いつも母は自分の言いたいことだけ言うとさっさといなくなってしまい、余計にわだかまってしまうだけだった。
そして今は会話のキャッチボール自体が難しくなってしまった。
私は、いつまでもこだわっていた思い出したくない部分を自分なりに消化していくために姉に聞いてほしいと思った。
多分、2人して闘っていたのは世間ではなく、実家だったのだなって分かったから。