前回の引越騒動の後、社宅を引き払い、近くのホテルで1泊後、茨木大洗港からさんふらわあ号に乗船した。
さんふらわあ。全く、嫌な思い出がひとつ。私は仕事を辞めていたので時間の制約が全くない(なんて素敵な響き)
だが、夫が、あれこれ、あれこれ言いだし、なかなか乗船日が決まらない。決めたと思ったら、変更。部屋数は限られており、個室はあっという間に満室状態。結局、大部屋宿泊となってしまった。
息子は初めての乗船にわくわくしているようだった。
私はちょっと、いや内心ずいぶんドキドキしていた。(家族の手前平気な振りはしていたが)
札幌は何回も遊びに行っている。
私の周囲は結構海外赴任しているご家族がいる。
息子も帰国子女ぞろぞろの小学校だった。
そんな人たちにしたら北海道なんて引越のひの字にもならないだろう。
でも、いつになく、落ち着かなかった。たぶんいつもどこかに本拠地を残しての部分引越しかしてこなかったから。
離岸の時は、今度いつ東京帰ってこられるの~。嗚呼、哀しきは宮仕え~。1回は住んでみたいと思った北海道でもそんなことを考えていた。
あと、ひとつ。気がかりなこと。三半規管が弱いこと。酔わない自信がない。
そして。
船旅は血を売ってでも1等客室を。
全くその通りだと、思った。大部屋は畳の体育館雑魚寝状態だった。
救いはお隣が似たような年頃の子供を持つ家族だったこと。息子が楽しんでいることだった。
そのご家族は敢えて、この大部屋を予約しているとのことだった。旅慣れているカンジ。
うらやましく思えた。
私ときたら、避難所の体育館はこれよりもっと状況が悪いな、食事もままならないし、お手洗い、入浴ももっとだ。圧倒的な違いは期限が明確なこと。そんなことばかり考えていた。
プチ船酔いですっかりげんなりしている私。
大浴場は海が目の前でなかなかの眺めだったが、体が傾いており今一つすっきりしない。
珍しく、夫が息子を船内を連れまわして遊んでくれて助かった。
酔い止めを飲んでも、エンジン音と揺れが気になり、うとうとしている間に夜が明けた。
苫小牧港着。
北海道着とかより、
やっと揺れない地面にほっとしたことの方が記憶に鮮明だ。