「結局さあ、子供産んでないから、馬鹿にしてんだよね、地獄飯も課長も」
久しぶりに「負け犬の遠吠え」を思い出した。
あの本が出版された頃、私もまさしくその部類だったから、いちいち共感するところが多かった。
ただ、著者が高級負け犬とすれば、私は庶民負け犬だな、と思っていた。
今一応、結婚、出産という人生における宿題を取り敢えずやってみたものとしては、
人を観察するときについ、どんな風に育てたらこういう風になるんだろうということがすご〜く気になるようになった。(良きにつけ悪しきにつけ)
日々悩みながら子育てしいるだけに「朕の思い通りにならぬもの、いっぱいあるけど、子育て子育て」だ。
良きにつけの場合は問題ない。その秘訣を、爪のアカを欲しいだけだから。
悪しきにつけの時が問題だ。
このひと、こんなでどんな顔して子育てしてんだか。恥かしくないのか。同じことを子供がしてたら怒るでしょうに。
これは、ブーメランのように自分のところにはね返ってくるのは分かってる言葉だ。だが、職場で30点しかもらえないとしても、子供が見て恥かしいと思うような卑怯なことや狡いことはしていない自信はある。
だから、子供の前でも偉そうに説教したりできると思ってたんだけど。
結婚した、しない。子供がいる、いないってカテゴライズする前にもっと、重要なことがあるな、と、思った。
独身の時、私はそれを言わせないようにとずいぶん針をとがらせて自分を守っていたハリネズミだった。
変なところ傷つきやすくて随分と周りに気を遣わせた面倒な存在だったことだろう。いい年の独身女「はれものにさわる」ようなお取り扱いでお願いしますって。
でも、針があったことを忘れてはならない。
でなければ、あの嫌悪すべき「図々しいおばさん」にいとも簡単になりさがってしまうから。
でも、物理的な日常的な破壊者の前にはいちいちそんな繊細なことを気にしている余裕も無くなってしまうことも多いんだけど。
負け犬カテゴライズよりブサイクな噛みつき犬にならないようにするのが余程重要だと思う。