女子

子供の頃は、何で男子に生まれなかったんだろうと思っていた。

何かあるとすぐに、女の子らしくしなさい。そんな態度や言葉使いはいけません。とか、周囲の大人はうるさかった。

そんなお上品な家庭で育っておりません。実に大ザッパにしか育てられてないの。何期待してんの。そんなこと言う大人も、そんなにお上品な感じしないのに、何言ってんだろう、言ってる自分たちは女らしい、とか、男らしい大人達なのか?

小うるさいただのおっさん、オバさんじゃないのかと、思っていた。

なんで女子にはそんなに規制をかけるのか、

世の中は男子に生き易く出来ているとしか思えなかった。

その役は、ぜひ、似合う女の子にやってもらってください。反動でますます乱暴な女子が出来上がっていった。おかげでスカートを着るのもすっかり嫌になり、学校の制服も苦痛で仕方なかった。お祭りなどで浴衣や着物を着せられるのも、女装しているみたいな感覚に陥っていた。

だが、やがてその乱暴な女子も青春を迎え、野球部のN君がカッコいいとか、バレー部のッチーが良いとか、憧れを抱くようになったときに違う悩みが生じてきた。

私みたくランボーな女子に好意を抱かれても嬉しくないに決まっている。枯れ木も山の賑わいと言ってしまえるほどにまだ達観してもいない年ごろだ。

今更、女の子に戻れるのか。

高校進学はチャンスだった。

曲がりなりにも受験するため、地元の同級生ばかりではなくなる。イメチェンをはかるならこの時だ。

(一つだけ悲しいことは野球部のN君は野球推薦で他の高校に進学したことだった)

しかし、板についていないと、どうも気恥ずかしい感はぬぐえないが、スカートやワンピースは着られる女子にはなっていった。が、まあ、基本的な性格は、そのままだ。

高校3年間を通して仲良しグループの一人がとても可愛い子だった。

勉強もできるし、スポーツも得意、絵をかかせても上手いし、お裁縫も得意、性格も悪くないとくれば、ちょっとしたアイドル的存在になる。

結構な数の男子が彼女のことが好き。彼女の周りには恋バナが飛び交うことになった。

私は相変わらず、他校に行ったN君へのあこがれが続いていたが、仲良しの男子の大半が彼女のことを気にしているとなれば、傍でしこたまコンプレックスを育ててしまうことになった。

「もしかして彼女位可愛かったら、N君と話が出来たりしたかもしれない」

悩んでも全く解決しない問題の負のスパイラルにはまり込んでしまった。

青春=コンプレックスとの闘いだった。

それも他人と比べてもどうしようもない事で。

あんなにたくさん、泣いて、話してどんだけ時間を費やしたことか。

making of 自分だから否定はしないけど。

「女の子」でないことを悩んだ分、

女性に生まれたからには子供を産んでみたいと思うようになっていった。

今は、産んだからと言って決して解決した訳でないことを痛感している。

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