本家の呪い

盆と正月が憂鬱だった。

自宅が簡易民宿化するから。

倉庫から、揃いの塗りの碗を出し、茶碗蒸しの器を出し、お盆を引っ張り出して、座布団の天日干し、あれやこれやしてオモテナシの準備をする。幼い頃は、賑やかな感じが楽しかった。しかし、即戦力になる歳になると、遊ぶよりも手伝わされるコトが多くなった。

食器をいくつ洗って片付けたか、お盆を持って客間と台所を何往復したか。そのうちあまりに慌ただしいので、自分が、その日ごはんをいつ食べたかも判らなくなったくらいだった。

何故いつもは、フツーにくる親戚がいきなりお客様化するのか、謎だった。

同じような年頃のいとこが集まっているのに、私だけ忙しいのか。

おやつやお土産とかが足りないと我慢するのは、本家の子の私だった。(ウチの親戚は子供の数も数えられない大人だったのだと、今なら判る)

極めつけは、東京で一人暮らしを始めてた時に実家で祖父母の何回忌かをするのでおさんどん手伝いに帰ってこいと母から指令が来たコト。

家族の中で比較的私が料理をする方だったので、母1人だと大変だろうと帰省した。(母もかなり前から段取りでてんてこまいしていた。それに元々は、料理が好きではないヒトなのに、数十年もよく頑張っていたと思う)

子供向けのおかず、酒のつまみ、大人の夕食とずっと台所にいた気がする。お陰で東京に帰ってから作っても、作ってもご飯が足りない夢を見てうなされていた。

どこにいても、あたしゃ本家の娘なのか、、、うんざりした。

自分の将来を考える年頃になった頃、煩わしい親戚付き合いがあるような家族は絶対作らないと、心に決めていた。

ホームパーティーも大嫌いになったので、結婚したらホームパーティーしたいとかチョットでも言うようなヒトとは、2度と関わらないようにした。

お陰様で、夫の実家も忙しいので儀礼的な付き合いは強いられないから有難い限りである。本家の呪いは、とけかけてるかなぁと、期待している。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA